具体的に抽象に|《アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦》
なんとはなしに行ってきた東京近代美術館の《アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦》展のメモだよ。展示されている作家は14名、点数はそれほど多くなく(とはいえ120点ほどらしいが)、最後のエリアは広いフロアが存分に使われていた、風通しのよい展覧会だった。
アートに明るくないので、概要を流し読みする程度だと「アンチ・アクション」が何を指すのか、未だによくわかっていない。少なくとも1950年代以降、絵画芸術もといアーティストの方法論や創作が作品そのものありきからパフォーマンスまで含めた全体的なスタンスにおいて注目されるようになった、そういう移行期があったらしい。
そのような潮流が所謂「アクション」であるらしいが、それに抗するというか、それとは別流の前衛抽象芸術の流れ「アンフォルメル」があり、そこに系統されるような女性作家たちの活躍が良かれ悪しかれ注目されたタイミングがたしかにあった。ということで、その代表的な作家・作品が集められている、ということでいいだろうか。
展示目録は作家別になっているし、感想も作家別にしたいが、タイトルの定かではない作品が多く、ふわふわとした感想になる。カタログも欲しかったが、(実質タダとはいえ)高価なので今回は遠慮してしまった。まぁ、あらためて欲しくなったら買えるでしょ、しらんけど。
NOTEというわけで感想になるが、ニコニコ美術館で本展を主催した1人である研究員さんの案内動画が2026年5月までYouTubeでも公開されており、こちらを鑑賞後に感想に追記した。動画は以下である。
福島秀子
本展で1番気に入った作品は、最後のエリアの《ホワイトノイズ》の脇にあった《作品5》と思われる。彼女の作品は、画の奥行きを錯覚させるような仕掛けになっているように思う。ボーっと眺めていると、色の重なりが曖昧になっていき、画面の奥にグッと引き込まれそうになる。かなり長い間眺めてたら気持ちよくなっていく正に体験である。
自分の気に入った作品を研究員のお兄さんも激推ししてて笑った。やっぱりこの作品はいい!
宮脇愛子
白いパターンが放射状になって、中央に鏡のある作品がインパクトであった。狙い通りなのかわからないけど、かなりセンシティブな描写をしているように思える。
後述しているように、草間彌生と同じようにパターン反復を扱った作品であるとのことだ。まぁ、見たらそのままだ。
毛利眞美
《裸婦》は、あぁ、裸婦だなという作品で、その習作みたいな作品などがあった。が、総じてあまり記憶に残っていない。
フランスで画家の学校に通っていたという情報が研究員の方から出されたので調べてみると、神戸から実家に黙って渡航して、日本で知り合った神父さんの親族を頼ってなんやかんやで画塾に通って腕を磨いたらしい。真似したくはないがカッコいいな。
山崎つる子
面白みがどこにあるのか、なかなか難しかった。立体物がひとつあり、これも具体的な感想を出すのは難しいが、相対的には此方のほうが面白かった。ライティングの方法も指定されているんだろうかな。白色、ピンク、赤と3色の灯かりで照らされていたが、考えてみると此れ、制作された当時はLEDはなかったので、カラーフィルムを用いてたのかね。印象も変わりそうだ。
研究員さんの説明によると、この作家の画面の色の明るさは時代背景を反映しているとか。あー、なるほどな。この絵にも電球(田中敦子)やデジタル?(赤穴桂子)と似たような新時代の到来が意識されていたのね。また、立体物のライティングは3色であればいいという指示書があるらしい(赤が含まれれば尚良しとこと。これはおもしろいですね。
赤穴桂子
《スペースに於ける物体》の2点もよかったし、どれも好き。0記号っぽいのと点みたいなのはデジタル時代の到来に対応している感じなのかな。そう考えると、田中敦子の作品にもそういう雰囲気があるけれど。
70年代くらいには作品をまるで発表しておらず、制作から引退したのかと思われたらしいが、実態はそんなことはなく、アトリエにはいくつも作品が溜め込んでおられたらしい。はわぁーってなりますね。
芥川(間所)紗織
人物モチーフが多い、といっていいのかな。色遣いがビビッドですね。もっと全体的にみると面白い作家なんだろうなとはなった。
動画では、橋本麻里さんが旧姓と言っていたが(間所を指したのかかはわからない)、おそらくちょっと表現か認識にズレがあるように思う。Wikipediaの情報となってアレだけど、いわゆる結婚前の旧姓は、山田であるらしい。最初の結婚で芥川となり、のち、二度目の結婚で間所となったということだ。早世されているようで、残念ですね。
榎本和子
展覧会にいくと1人、2人はこういう結果になる方がいるんだけど、ほぼ印象がない。研究員の方の説明によると、福島秀子と仲がよかったらしく、2人展を開催することがあったとか。なるほど。言われてみれば方向性は近いのかもしれない。
江見絹子
抽象度が高い。ちゃんとタイトルのついている作品が(本展において相対的に)多いので、なおさらその気が高まっているような。《淵(Abyss)》はわかりやすかったかな。虚無の淵なのか地獄的なニュアンスが強いのか、それはわからないけど、前者のような気がする。
研究員さんの言によれば、作品によってかなり挑戦している方向性に差が大きいということで、捉えどころの難しさには繋がってるんやろな。
草間彌生
最初のエリアの正面にデカい作品がひとつ。あとは《マカロニ・コート》は印象に残りやすい。冒頭のエリアの彼女の紹介文に「ハプニング」と何気なしに記述されていたが、そのこともしらないので何のこっちゃではあった。
図抜けて知名度の高い彼女だが、時代の流れのなかでみると、特別な存在ではなかったよねというエクスキューズが入ると、そういうことらしい。
白髪富士子
展示作品は3点。もっとも少ない。《白い板》はインスタレーションというか立体物であった。うーむ。和紙をにゅーんどろーんとした作品もあり、こちらのほうがわかりやすいかな、とは。
昨年の初春に個展やってたんですね。たくさん目にすると、また印象も変わるんだろう。
多田美波
本展では気に入った作品が多かった。端的に完成度の高い作品が多い。長い廊下のエリアにあった2点は、画面の構成なんかは日本画っぽいというのは間違いないと思う。美しかった。
一方で、《変電所》などはロシア構成主義だっけ? あっちの画風だよね。巧いもんだから何でもできるんだろう。そのスタイルを用いたという程度ではなく、ひとつの作品として面白い。立体物も複数点あって、精力的な作家だねと。
動画の解説で気づいたけど、この作家の展示作品もやはり時代の発展に伴った表現が多いわけだ。
田中敦子
最初のエリアにあった《金のWork A》と巨大な《地獄門》のほかは、ほぼ無題なのかな。モチーフはずっと一緒で、電球と配線のような図像であって、それがシンプルな限りにおいては可愛らしいとかの形容もしようがあるが、特に線が多く絡み合うようになると、途端に不気味で恐ろし気になる。
そんな《地獄門》は今回の展示では最大サイズの作品だろう、ってか、このサイズの作品にお目にかかる機会もあんまりなさそう。作品に同じ場所で展示されたアフ・クリントのデカいのもここまでではなかったろう。
縦に3メートルあるらしく、(当然だが)厳密に計算して収まることを確認したんだとか。デカいのはそれだけで正義というのは、そうだね。
田中田鶴子
展示作品は3点。白髪富士子と同じく。《無》の2作品が並べて置かれていた。片方は “e” と描かれているように見て、であれば “empty” だろうけど、そういうものかはわからない。
今回のなかでは最年長枠らしく、昨年に同館で開催された「記憶をひらく 記録をつむぐ」で展示されていた銃後で働く女性たちという女性作家たちの作品に携わったのもこの方だという情報が伝えられた。へぇー。それで名前に既視感があったのかな…。
田部光子
襖だかの紙材にピンポン玉の半球を並べた作品が廊下のエリアの最後にあって、本展の感想をSNSで眺めていると、この作品を気に入ったという感想が多かった。が、私は《胎動》の2作のほうが好きかなぁ。というか、リストを見返すまで同じ作家だと気づかなかった。アホかな?
《胎動》には墨色にした竹の輪切りが利用されていることは鑑賞したときにわかったが、この竹は箒の柄から分解して利用されているらしく、有り体に言って女性性の解体みたいな狙いはあったんじゃないのということでした。タイトルからしてそうなんだけどね。はぁ。
で、終わりなんだけど、動画を見るまで知らなかった(かまるでスルーしていたか)が、ちくま学芸文庫から『増補改訂 アンチ・アクション ――日本戦後絵画と女性の画家』(中嶋泉)という研究書が2025年の秋に出てるんですね(大元の単行本は2019年)。言うまでもないけど、本展の発端はこの書籍であって、中嶋さんも本展の開催にあたっては研究員の方らと主導的に関わっていたらしい。
謂うてみれば、本展の作家たちは研究対象としては未開拓な方ばかりらしく、上記の書でも文庫化に際して追加された作家がいるらしい(誰だったっけかな、言ってたけど忘れた。
機会がつかめれば読んでみたいなぁ。終わり。