史料の意味を積極消極に限定する|『モミッリャーノ歴史学を歴史学する』

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木庭顕『ポスト戦後日本の知的状況』 (講談社選書メチエ)を読んでみたいとページを捲ると、『モミッリャーノ 歴史学を歴史学する』『人文主義の系譜』は読んでおけとあったので、手に取った。『モミッリャーノ歴史学を歴史学する』(みすず書房、2021)である。この本も、もう一方の本も品切れで「読めと言っておいて、どういうことなんだ?」と文句を垂れるのみだが、今回は正面から取り組みたく、古書を取り寄せた。

本来、本書を手に取るべき人は私を除いて幾らでも居るだろうが、まぁしょうがない。流通してないんだもん、あーあー、どうなってんだこれ。ということで、以下、目次別のメモとなる。ちなみに、私は歴史学は「レ」の字も知らない。あしからず。

はしがき

アルナルド・ダンテ・モミッリャーノ(1908-1987)というイタリアの歴史学者・古典学者がいるそうだ。その人のいくつかの論文を翻訳したのが本書だ。ユダヤ系らしく、1938年には国を追われてイギリスを本拠地とするようになったそうな。

で、木庭顕によれば、この人物の歴史学観というか、そういうものが正当に評価されていない、およそ正しく受け継がれておらず誠にバカらしい現状であると。いままでは「原文で読め(そのほうが簡単だ)」と考えていたらしいが、近年は「そうでもないんじゃね?」と鑑みることがあったらしく、9編の論文の翻訳が収められた。

I Hekataiosの合理主義

ヘロドトスは、世界の名著シリーズで『歴史』を読んだ限りだが、ヘカタイオス(Hekataios)に意識が及んだことはなかった。誰? ってことで、いろいろなヘカタイオスがいると思うが、この論文では所謂、ミレトスのヘカタイオスを指すようだ。いや、誰だよって話ではあるけど。 歴史学、より詳しくは古典ギリシア・ローマを対象にした場合のそれ(歴史学)が、主にどういう作業を指すのか知らないが、つまり彼らの残した文献、現存するのはほぼその断片を丁寧に読み、相互に解いていく作業にあたるらしい。裾野が広い。

「ハデスの犬」あるいは蛇

ヘカタイオスによって、「ハデスの犬に纏わる伝承があるが、これ(ハデスの犬)は、この伝承のある地域にでる蛇の別名である」というような文章が残っている(らしい)。もちろん、前者は古代ギリシャ社会に伝わる伝承で、後者はヘカタイオスが一般化したか、詳らかに説明した事実かであるが、つまり、そのような文献なのである(らしい)。 伝承的な「ハデスの犬」という文言の帰着するところは「ただ蛇である」に過ぎない、というような、一見すると大したことの無い内容に思えるが、このような変換がなされていること、ここに注目することが重要とのことで、ヘカタイオスは自分らの社会に伝わる伝承、そのバリエーションを分析してみせたと。そして、これがヘロドトスから更に遡ったところの「歴史」(学)の始まりなのではと説く。なるほどね。

トロイア戦争、家畜泥棒

同じような事例として、トロイア戦争に関する逸話(伝承)の例が挙げられる。伝承を卑近な出来事で示して、その大きさを揺るがす試み、あるいはスタンスが(ヘカタイオスに)あったという例でもあるようだ。とはいえ、ホメロスの残した本筋(伝承の強さ)を突き崩すほどの強さはないという留保も入る。

テーバイ、神の類など

ヘカタイオスの祖先を辿ると、神話の時代の人物(あるいは神か知らん)にたどり着くが、エジプトの人物では(比べようもないくらい歴史が長いので)そうはいかない、というエピソードがある、とのことだ。で、つまり、この事実でもって、自分の社会(古代ギリシャ)を相対化してみせるらしい。ここ箇所の書きぶりだと、ヘカタイオス自身に過剰とも思しきエジプト礼賛、ギリシャ軽視のニュアンスが強いと読めるけれど、ほか、リビヤなどから風習を受け継いだみたいなエピソードなどもあるように、あくまで自分らの社会の相対化の範疇ではないかと、素人目には映った。 これを雑駁に懐疑主義と呼べるか、相対主義と呼べるのかは不明だけど。

真の歴史学とは

本文を素直に読むと「真の歴史学」とは、ヘカタイオスを経てヘロドトスから確立されたという本論全体で述べる視点のまとめのような内容だが、ここの文章のニュアンスは現代的な(モミッリャーノのかかる)歴史学も内包されているのは確か、と思われる。つまり、皮肉というかダブルミーニングなんだろうなとは思ったが、本書の特徴とも言える執拗なほどの注(木庭顕による)では特に触れられていなかった。当然のことすぎるからだろうか?

ついでだが、終盤、いきなりヘラクレイトスが引き合いにだされ、体よく批判されていて苦笑いしてしまった。モミッリャーノは当然のこと、ヘラクレイトスの残した(残された)資料なんかも知り尽くしているのだろうが、上述のヘカタイオスのギリシャ社会の相対化(と私には思われる)部分は、ヘラクレイトスの思想の要点とそこまで大差ないのでは。その差が大きいと言えば、そうなのかもしれないけれども、メタの方向性に差があっただけでしょうに。

というか、この2人は、ほぼ生年没年が被ってるみたいなのね、へぇー。

II 歴史叙述の在り方に関する諸議論の歴史における、Herodotosの位置づけ(松原健太郎訳)

タイトル通り、ヘロドトスにかかる論文だ。Iで読んだように、ヘロドトス以前にも似たようなことをやった人物(ヘカタイオスなど)はいくつかいるが、それでも歴史の記述と収集を同時にやってのけたのはヘロドトスが初めてで、そもそもこの困難をこなせる人間はいなかったのだ、というような記述がある。

一方で、トゥキュディデスを先鞭としたヘロドトス批判が歴史的に事実としてあるとのことで、ローマの史家の大半は其れに引きずられましたね、という論点もあるようだ。「ローマの人はローマの相対化をあまりやろうとしなかった」みたいな内容の話は有名な気がするので、そういった要点込みで、とにかくトゥキュディデスの方法論が大きく受容され、重視されたんだろうかね、という身も蓋もない感想に尽きる。

また、本書で最重要のタームのひとつである「アンティクアリアニズム」が登場する。本書の日本語訳としては「古事学家」と充てられている。で、ここではローマの歴史学者は、彼ら(古事学家)を顧みなかったと批判がなされる。

ここらで、読んでいる立場からすると、学問領域的な疑問といっていいのか、要するにトゥキディデスなどによって批判されたヘロドトスの歴史学とは、今日的には文化人類学や民族学なんて呼ばれている類に近いだろうと思うわけだ。すると、どうか? 続く。

ルネサンスあたりのイタリアのギリシア・ローマ研究者のあいたでヘロドトスが完訳され、いったん再評価される向きが生じたが、やはりそれでも批判的な意見のほうが目立った。さらに時代を経て、16世紀となってくると大航海時代などを経て、キリスト教世界の相対化が起こる。このときに何が発生したか、為されたかと言えば、ヘロドトスの方法の再発見であった(らしい)。

で、これらの活動が学問的にどうつながっていったかというと、先の疑問のように、本論では「社会人類学」や “ethnograpy” (民族誌)の萌芽として扱われている。また、あらためて古事学家という視点について考えると、歴史学が公文書や碑文、貨幣などを歴史研究の資料として方法的に扱うようになったのは、18世紀以降になってようやくのことだったとか。これが、もうひとつの重要なタームであると思われる、実証主義の問題か。

ヘロドトスについて言えば、古代キリスト教研究(聖書周辺だとか)や古代ギリシャ・オリエント研究において、ここまでのような流れの上で(当然のようだが)無視できない存在として再認識され、結局はそのメルクマーク的な意義や現代的な問題性も看過されるはずがないよね、というような結果として現代的な評価にようやく至るらしい。ははぁ。

なお、これは余談だが、以前読んだ『哲学者ディオゲネス -世界市民の原像』(山川偉也、講談社学術文庫、2008)で、貨幣の問題に大きく切り込んでいる章があり、読んだ当時は勢い、なんで議論が登場するんだろう? という疑問半ばだったが、こういう方法論ってことなのか。学校の歴史の教科書でも貨幣を取り上げるが、こういう背景までは意識が及ばないね。

III 口頭伝承に基づく歴史学と文書史料に基づく歴史学

IとⅡを読むことで、この論文がスムーズに読めるようになっている(当たり前だ)。本論にはセクションの数字が振られているが、特に1と2はここまで読んできた内容の振り返りという面が強い。2の文中に、これも重要なタームとなる “Critique” が登場し、「論拠の前提的吟味、ここでは伝承批判」と括弧で補われており、また、注において、これは現実の政治過程では適用できないというような旨がある。うーん、そうですか。

また、続く注には「歴史学は物語をしなければならない」とあり、「物語の連鎖を延々とたどることは」結論を妨げ、かつそれは高度化するほど Critique に近づくという。「徹底的に背景と脈絡を探しまくること、そのために隙間のない時間軸と空間軸を用意すること」が「生命」だそうで…、この説明を流石に即ち理解したとは言えないが、これが syntagmarisme だそうだ。は、はい。

そのほか、気になった注としては「ギリシャ人は文書を徹底的に警戒した」そうだが、それは「文書が政治システムそのもの」であるかららしく、よって口頭主義が流行ったらしい。はぁ。わかるような、そうなのかぁというような。

3は、やはりⅡと重複するところがある。注から得たのは、19世紀のドイツ実証主義はトゥキディデスの影響化に立つことを基底としていたが、外交文書などに拠る研究というのは、Ⅱの通り、アンティクアリアニズムの系譜に連なる、など。自分の言葉でまとめ直すと、トゥキディデスが歴史の検証に足るとしたのは、自分の時代の自分の捕捉できる範囲で起きたことの結果としてまとまった事実である、とのような理解だ。

4からは、ここまでのように、ギリシアからローマに継がれた「歴史学」は、トゥキディデスの捉えた価値観を広く共有するようになった、という点であった。

IV ギリシャ・ローマ史学とアンティクアリアニズム

I~Ⅲまでのまとめのような内容でありつつ、近現代までのアンティクリアリアニズムと歴史学、あとおそらくは哲学を交えてその歴史をより詳細に振り返る内容だったかな。途中で理解が追いついていない状態に陥って、いったん止めたため、読書の進行に遅れが出た。解説を読んで是かなと得た結論といえば、歴史(not アンティクリアニズム)とアンティクリアニズムに優劣があるわけではないが、相互の影響のなかでどちらも強み、というか、方法論的に強度を自滅させかねないほうに進んでいったね、悲劇だね、みたいな話だったみたいだ。

V Gibbonが歴史学の方法発展に寄与した点

18世紀はギボンに注目してみようということだ。『ローマ帝国衰亡史』も読んだことないんですけど、すみません。モミッリャーノ曰く、ギボンの歴史学の方法に特に目新しさはなかったそうだが、文献を読み込んだ量と咀嚼の深度、そのうえで取り組んだテーマ選びの妙が、まさしくギボンの才能だというような記述ある。なるほどね。

VI Perizonius、Niebuhr、およびアルカイック期ローマ伝承の性格について

二ーブールというドイツの歴史家がおり、バラード仮説というのを打ち立てたらしい(自分で別個に検索した)。バラードというのは叙事詩、詩、あるいは本文中には “carmina” と記載されていたが、大雑把にまとめると歌であるということらしく、古代ローマもこういった歌によってさまざまなルールが保たれていたのでは、という意見らしい。

で、たとえばVerginia伝承というのが取り上げられており、バラード仮説ではこれも歌として語り継がれてきたとするらしいが、その論拠となる証拠が乏しい、無いやろというのが実証主義的な見解で、この伝承はあくまで当時の儀式や法制度を形式化したものだろうと。

というようにバラード仮説は有効な議論ではなくなったようだけど、モミッリャーノは、ノーブールがこれを重視してしまったのはローマにおける貴族と平民の関係性に重きをおいてしまったからでしょと言及する。

VII G. C. Lewis、Niebuhr、そして史料批判

1 Niebuhrの方法

(VIで示されたようにノーブールのバラード仮説は否定されたが)、ノーブールの確立した方法論は、それはそれとして良くも悪くも偉大であったようだ。それはそれとして、歴史学についてモミッリャーノの以下の文章が、非常に面白い。

歴史学的直観というのは、当て推量の力ではなく、事件自体と事件に関する情報の伝達の両方を同時に明確にしうる仕方で恣意なく史料を説明する力のことである。

史料が言うことを明らかにすることと、史料が言わないことを計算に入れること。史料の意味を積極消極に限定すること。解釈を統合してしまうのと正反対に、その解釈が想像の世界の方へ逸脱していくのを妨げること。

2 イギリスにおけるNiebuhr受容

とまぁ、劇薬のように機能するニーブールの歴史実証主義は、イギリス社会、宗教会や知識層にも偉い影響を与えたそうな。これは近代イギリスの偉い発展に貢献したようだし、一方で反動(ロマン派)も生み出したとかだ。

3 G. C. LewisのCritique

ジョージ・コーネウォール・ルイスという人物がおり、ほぼ貴族で、基本的には政治家のようだが、その語学力を生かして、二ーブールにも関連する仕事をしたらしい。モミッリャーノとして重要なのは、あくまで彼にとっては政治過程が前提であって、その道具としての歴史学ではあったようだ。

で、ニーブールの方法論を徹底的に批判したルイスはそれはそれで正しいらしいが、仔細に立ち入っていくと彼自身もやらかしはしていると。そんへんの細かい話はここでは割愛する。

しかし、高校倫理や哲学史、あるいは歴史の授業でもいいけど、実証主義って主要な思想家(オーギュスト・コントとか?)がさらっと並べられて終わるけど、これほどのインパクトの強さを放つ思考の潮流とは意識したことなかったので、単純に反省するのみだね。

VIII  Timaios、Fabius Pictor、Servius Tulliusの「最初のcensus」

セルウィウス王が市民の財産 “census” を検分し、市民権や軍務、投票権などを割り当てたという伝承をギリシャのティマイオスが残したらしい。また、ローマではじめて銅貨を鋳造したとも。また一方で、ファビウス・ピクトルはこれによって8万人が市民登録されたと記録したらしい。

でここでは、“census” というのは市民登録された8万人のことを指すらしく、ルイスなどはこの8万という数字の吟味(異論)やらなんやらをしたとのことで、本論ではその論の拠り所やティマイオス評価などが展開される。初期のローマ市民とは、ということらしい。

IX patrici/plebs二元構造に関する考察

初期ローマの形成時における貴族(patrici)と平民(plebs)の関係性について論じられる。貴族、平民のアテがどれくらい妥当なのかもわからないが、そうしておく。ローマ社会が大きくなっていく過程で自ずと平民のバランスが重くなっていき、政務や祭祀が按分されるようになっていく。奴隷(平民側だろうか)が緩和されていくという流れがあったと、その実態に史料的にはどれだけ迫れるかということか。

で、一見すると、この2つが相対するようだが、もともとは、patriciに対するのはplebsではなくて、conscripti だろうというのがモミッリャーノの述べていることで、これは元老院(候補?)のリストに追加登録された人々を指すのだらしい。このなかには力をつけた plebs もおったろうと。

議論は、王政期から共和制への移行、そのときの軍事力、初期形成時のの部族やらなんやらの話にまで敷衍するが、最後にその時期や関係性の仮説がまとめられているので、詳らかな議論についていけなくても概略は目に入れられるので、優しいのであった。

解説

いくつか引用する。

結局、読者は、ギリシャ・ローマと初期近代と19世紀以降に渡る多段階の立体的視野を提供される羽目に陥る。それは知的営為の平面における見通しにとどまらない。社会構造の平面における、今までに目にしたことのない、見通しを与えられることになる。一言で言えば Critiqueの質を問うたことによってこの見通しが得られたのであることを忘れてはならない。それを問わせるのは、自由ないしその砦としての市民社会の成り立ちに関するアクチュアルで切実な危機意識であった。

さしあたりの史料を根底から批判するための史料であるが、同時にその史料批判は根底の社会構造からの吟味でもある。他方、その史料の特定の形態は、市民社会が紡ぎ出されるときにあらためて回復しなければならない、情念のレヴェルの豊かで独創的な、コミュニケーションを先取りしてもいる。つまり文学の原型である。

しかしこのCritiqueとは一体何か。何故これが生命線であるとMomilianoは考えるのか。初期依頼の彼の知的遍歴を通じて明白であるのは、彼が、市民社会の構築や再建に究極の関心を見出している、ということである。

歴史学はCritiqueを生命とする。史料批判が全てなのである。かつ、歴史学においてはギリシャ以来多様なCritiqueが工夫され、積み上げられてきた。

補足メモと言うか、木庭顕先生というのは専門はローマ法であり、法学者なのだよね。『誰のために法は生まれた』(朝日出版社、2018年)ではギリシャ・ローマの演劇をベースに法制度の成り立ちを説明していたけど、その手法の背後にはこのような理屈があるわけだ。

はい。