自分とはなんなのか|《役者になったスパイ》
《役者になったスパイ》を観てきた。スイスの映画だそうだ。理由はなんということはなく、休日の午後に予定までの時間を持て余し、たまたま上映館と時間の都合がついたからだ。夕方の入りの時刻、座席は4割くらいの着席率で、ほどよい。ギリギリに入ってきた隣の爺さんは開始から10分くらいビニールに入ったパンか菓子かを頬張っていた。プラ袋のガサガサ音が煩かったが、幸せそうだからええか、となった。
時代は1989年、スイスの首都かな?
主人公は生真面目な若手の警官:シュエラーが役者になる。タイトルの通りだ。東西冷戦のさなかに東側情勢が慌ただしく、また共産主義シンパがどこにいるかわからないといった西側諸国の政府や市民による疑心暗鬼が重く広がっていたタイミングであった(という理解でいいだろうか)。要するに芸術だとかにかぶれる連中というのは、左傾化(ここでは共産主義)しやすいというレッテル(事実でもあるかもしれない)があったので、彼は上長の暗黙の指示に従って劇団にエキストラ要員として潜り込むのだ。
まずは、2人の登場人物を挙げておく。
劇団のハイマンという演出家、なにやら怪しい。アホでスケベなんだけど、本当にアホな小物なので最後の方は可愛げのある人物だなぁという風になる。それでいて、ヴァロを台詞の多い代役に使おうという主張は曲げないなど、その他も含めて演出に一定以上のこだわりと主張があることも明らかで、そこは上手に人物像が成り立っていた。
最重要人物、オディールというヒロイン、劇団の今回の演目は主演俳優にあたるが、ハイマンと並んで要注意とされていた。が、中盤ほどで明らかになるが、彼女は政府や軍の関係者と縁のある人物であって、活動家という存在とは程遠い。
要するに、本作には危険と該当する人物は登場せず、サスペンス味は、まるでない。ジャンルはロマンスコメディにあたるらしいが、本当にそのままで、スパイ要素はロマンスと主人公の変化のための味付けに過ぎない。誰かしら黒幕というか、アウトな人物がいるのかなと思っていたが、そんなことはなかったんだ。最後がそれなりにキレイに終わるのであんまり気にならなかったけど、うーん、まぁね。
主人公サイドに注目してみたい。
シュエラーは生真面目、そのうえ熱心な男であることは序盤にハッキリ描かれる。生真面目と熱心さというのは、ちょっと違う気がしたのでそう書いた。
スパイ作戦を暗に指示した上長のハンスは、これも警察物のストーリーの典型と思われるが、彼の父親と懇意だったらしいことが匂わせられる。「お前の父さんはいい刑事だった。あいつの代わりに俺が成長を見守ってやる」みたいなヤツである。雑に考えると、あんまり展開と整合しない気もするが、ハンスに目をかけているというのは事実だろう。実際、この要素も大して扱われていない。
で、まぁすでに必要な情報はほぼ出尽くしているんだけど、ここに歴史的な事実がひとつまみ、それも濃厚なやつが味付けされている。永世中立国を謡っているスイスは国民の徴兵制も市民の間で議論になりやすいようで、そのプレッシャーも手伝ってか、体制側は共産主義シンパ(容疑者とまでもいかない)を対象者リストとして、その監視体制を強めていた。
歴史的に、この事態は “Fichenaffäre” もしくは “Secret files scandal” と一般には呼ばれる騒動に発展し(劇中でもクライマックスでハッキリと触れられる)、最大で90万人以上が対象だったらしい。バカみたいな大きさの数字である。振り返ってみると、シュエラーがたびたび利用していた書庫はすべてこのリストだったんだなと。そう考えると、それらをあぁしたシーンも象徴的であったのか。
で、監視対象者の例としては作中では、劇場のスタッフ門番をしていた青年が相当し、なんかしらんが(パーソナルラジオやってるからかね)対象者になってしまっていた。んで、朴訥な青年はそれによって不適当な扱いを受けており、いくら就活を頑張っても面接にも至らない。こんな感じの理不尽やらを市民側の視線から目にすることになったシュエラーは、オディールとの恋模様を中心にしつつ、体制側から市民側へと心を移していき、そして…。
本作の原題は《Moskau Einfach!》、英題は《One-way to Moscow》っちゅーことで、ともに「モスクワへ片道で行ってこい!」ってことだ。まさにタイトルを象徴する強烈シーンがあり、これは一見の価値ありといった具合だった。シュエラーは体制側の人間だが、要するにオディールもそれに近い存在ではあって(体制が何をやっているか暗に知っている)、彼女の苦しみが吐露される。そりゃ惹かれもするわな、相互にである。
タイトルおよびロマンスの背後には、結局、西側体制を守ると言いながら、やっていることはモスクワのやつらと大して変わらんやろと、そういう含みがあったわけです。もはやそれは共産主義というか全体主義への牙であると思われるが、いかがでしょうね。
といった感じだ。
そもそも2020年の映画ということで日本上映の時差にちょっと驚いたし(珍しいことではないとはいえ)、2020年のタイミングで冷戦を題材にした映画が奇しくも上映されたんだなとなりました(モスクワに行けって苦笑)。ベルリンの壁崩壊や、徴兵制の投票結果のシーンなどは、当時の映像が使われていると思われ、それもそれで印象的ではあったね。
とかなんとかで記事を寝かせていたら、今度は人口制限を問う国民投票が実施されそうということらしく、どう転ぶにせよ、穏やかではないですね。