磯の空気感がある|『ハルビン・カフェ』
『時には懺悔を』(1994年、打海文三)を読んだのち、同作者の『ハルビン・カフェ』を読む。本作は2002年の作品なので、作家のキャリアの前半と熟達した時期との差があるのかな。『時には懺悔を』は一般的な文体、構成であったが、『ハルビン・カフェ...
『時には懺悔を』(1994年、打海文三)を読んだのち、同作者の『ハルビン・カフェ』を読む。本作は2002年の作品なので、作家のキャリアの前半と熟達した時期との差があるのかな。『時には懺悔を』は一般的な文体、構成であったが、『ハルビン・カフェ』はセクションごとに登場人物たちの視点で語られるスタイルが採用されており、慣れるまでは読み進めづらい。
視点はコロコロと変わるし、時系列、絡み合う人間関係、事件ももややこしいので、正直言って半分雰囲気で読み進めざるを得ない。ちょいと昔の出版物なら登場人物の一覧や年表が付されていてもよさそうなタイトルではあった(ある種の年表は作中で1度登場するが)。自分で相関図をこしらえたら後発の読者の役にたつ気もするが、時間がかかりそうなので無理だね…。
あらすじをかいつまむと、時は…何年なんだっけか…。北陸の都市は極東アジア人、ベトナム人、ロシア人が入り乱れる半ば無法地帯となっており、とにかくカオスである。その理由付けもよくわからんのだが、大陸側で荒れる何事かがあった体なのかな。出身地別の勢力エリア、それを取り仕切るマフィアがおり、当然そこに日本本来の地元警察、警察庁、果ては警視庁や公安やらが絡む。
地元警察にて鉄砲玉のように消費される下っ端刑事たちの怨念のようなそれが、テロ組織のような存在を生み出した。本作は本件が軸となり、この暴力の応酬の果てに何が待っているのかを関連する事件、契機、人間模様を織り込んで語られる。気軽に読みはじめたら、割と大ボリュームで面食らったよね。冒頭の描写にすら、けっこう殴られたくらいのショックを受けたけど。
世界観とかジャンル、テーマ的な話をする。
ようこんな世界観を構築したものだと思ったものだが、類例としてまず思いつくのは『BLACK LAGOON』(広江礼威)の東南アジアにあるという犯罪都市ロアナプラかな。このマンガが2001年からの連載なので、やっぱりというか、似たようなイメージ(無国籍犯罪都市)の源泉(同じコンテンツとは言わない)が両作者にはあったんだろうなという感触は得られる。
あとは『時には懺悔を』のジャンルを考えると、和製ハードボイルドってこの調子かな? という感触だったが、今回は和製ノワールだなと。この手触りの差がどこから生じるのかはわからないが、とりあえずそういった印象があったことはメモしておく。どちらにも該当するということもありえるのかもしれないけど。
ネタバレ的な感想を避けるとすれば、もっとも主人公っぽい人物となる小久保という刑事のキャリア、そのあり得た分岐点、もとい可能性や人間関係が事件全体にかかっているのだろうなというところかな。結末の描写は詳らかにはされないが、そういうことかと思う。これだと整理しすぎな嫌いはあるけど。
テーマ的なものについては、さまざまな要素が散りばめられているので、どこに手を付けようか、どこに手を付けてもなぁ、という面もある。うーむ。ここで感想を打ち切ればいいのだけれど、それももったいない気もする。ちょっと視点を飛ばすしてみる。
作者の遺作であり未完結であるらしい「応化戦争記シリーズ」(2004-2010年)のあらすじを読むと、パッと思いついたのは『マージナル・オペレーション』(芝村裕吏、2013年、未読)だが、影響関係はあるんだろうか。いずれにせよ、どうにも打海文三には、混沌とした世界にあらがう(選択肢しかない)少年少女たちを描く向きがあるようだなと感じた。
とはいえ、実は「戦争に巻き込まれる少年」というモチーフ自体は、日本のフィクションでは珍しくもないとあらためて気づく。差といえば今回は特に、どれくらいエグイ描写がなされるか、などであって、上記シリーズや連想した作品は、その粒度(エグさ)が近いんじゃないかな。
話を戻すと、『ハルビン・カフェ』の主人公のひとり、少女から成長していく女性もまた作者の描きたいモチーフの具体化されたキャラクターだったことは明白、と思うが、ここで書いていて思ったのは、この子に焦点化すると途端にハードボイルドっぽくなるな。あるいは『レオン』か『タクシードライバー』か…。
また、物語が最終的には、良い意味で凡庸な着地点に終わるのは、ある意味では正着なのだろう。すべての事件の背後にあるものがどういった存在なのか、とても常人じゃ太刀打ちできなくても、多くの人間の時間と労力、もとい命が捧げられれば解決しないこともない、というのもそれらしい。
人間の軋轢の生み出す暴力、そこから生じる憎しみや復讐、その連鎖というのは理屈ではわかるし、小市民レベルにおいてすら無限に生じている問題だが、ことそれが小説的となると奇妙な物語にならざるを得ないというか。
もちろん現実における現下の戦争だって、個別には処理しきれない憎しみの連鎖を生じ続けているだろうけれど、そこには流石に本作(というかフィクション)に見られるような(美しいとさえ表現しうる)ストーリーはないだろう。もっと端的に無慈悲なだけだろう。
逆説的に、だからこそ本作のようなフィクションを楽しめる、と言ってしまうと作品を矮小化してしまうような気もするが、それらもまた一面だろう。
あらためて、極限の状況が多発するので、どしても男や女の問題が焦点化しやすい作品とも言えるのだが、その匂わせ方は作者なりの矜持があるのかなという読後感もある。ここも切り出してみると、やはり、ノワールというよりはハードボイルドっぽいかな?
また、捨て台詞のような感想としては、救いとなりうるは平穏を求める知性だけ、という主張があった気もする。優しいね。
あとはアレですね、読んだ感触として言ってしまうと当然のことのようだが、作者は社会組織の不可避な自滅、腐敗を肯定も否定もしていないように読むけど、その無常さを表現したかったのかなとはなる。21世紀の個人主義、なのかもしれない。このへんを楽しむのがいいのかなとも。