上からくるぞ|『黒い家』
人を操る魅力をめぐる人間の狂気を描いたホラー。通時代的な犯罪心理ってのはあるのか、環境汚染は人間を狂わせるか。やや強引な展開もある、終盤の追跡劇は抜群にスリリング。『新世界より』にも通じる、状況を動かして読ませる巧さがある。
貴志祐介の作品といえば、アニメの鑑賞後に小説『新世界より』(2008)を読んでえらく感動したものだった。アニメについていえば、荒削りな濃い目の味付けが好きだったし、主題歌の『割れたリンゴ』はいまでも偶に耳に流す。
ということで、なんとなく『黒い家』を手に取ってみた。「○○の家」ってタイトルは耳目したことあるなぁと思いながら読み進めたらが、『狐火の家』と勘違いしていたようだ。というのも、本作は明らかに初期作品で、私が知っている「○○の家」は割と最近のことと覚えているからだ。
『黒い家』は1997年で、『新世界より』よりも10年くらい前の作品だ。
保険金殺人、あるいは自殺偽装か? という切り口からはじまって、不気味な人間、あるいはサイコパスかソシオパスか、精神疾患の診断・統計マニュアル「DSM」や世界中の事例などを援用しつつ、狂う人間を描くのが本作だ。
時代を感じるのは、今回は、ケータイの有無などよりも『沈黙の春』が取り上げられていたことにある。近年は、本書に対する評価もいろいろと分かれているようで、タイトルを目にすることも減ったが、たしかに2010年くらいまでは環境汚染やそれに伴う影響といえば本書、というのが定番だった。
それはそれとして、要するに人間の精神の異常には、諸々の汚染物質が破滅的なダメージを与えているのではないか、という仮説が『沈黙の春』を通して扱われていた。これ、なるほどなぁとはなるけど、あまり聞いたことはない説ではあった。どうなんだろうね。
物語部分の話をする。
イヤなことを先に言うと、登場人物が限られるので、オチは割と序盤でわかる。が、文章はすらすらと読めるので「主人公らは流石に鈍すぎでしょ」という感覚に陥らない限りは、読書の障害には大してならない。そうした感覚が生じたのも事実だが、まぁ恐怖のなかで感覚もマヒするだろうしなと納得できた、一応。
そうはいったが、強烈に納得しづらいのが1点あって、主人公の交際相手が襲われる可能性をスッポリ見落としていたのである。中盤以降、すでに自分の身元(生活圏など)が黒幕に割れていて、いつ危害が現実化するか分からない最中で、それが彼女に及ぶとはまるで考えていない。その示唆もあるのに、である。
作者が読者をヤキモキさせハラハラさせる展開を選んだ、ということか? 十分に面白いので読み流すことはできたが、こういった些細な部分に目がついてしまったのも事実だ。あるいは、ストーカー的な、家族や友人などの親密な関係者ごと脅かすみたいな危機の在り方がそんなに身近ではなかったか? (というようなこともないとは思うが。
さて、床下などに遺体がたくさんある。ホラーとしては、非常に魅力的な状況だ。
これ、元ネタらしきものがあるんだろうなと、生成AIやWikipediaなどと相談すると、ジョン・ゲイシーがモデルであるように思われた。事実は小説よりも奇なりであって、Wikipediaに記述されている内容だけでも、その経歴は凄まじい。記述の説明を読むと、彼の犯行に及んだ家屋の説明が「黒い家」のモデルだろうと考えざるを得ないくらいには、そのイメージが一致する。
はて、執筆当時、まだインターネットもさほど発達していなかった時代、著者がどれくらいの深度で彼の情報、作中で披露される世界各国のさまざまな保険金殺人についてどのようにリサーチを進めたのか、方法はわからないが(現代はあまりにも手軽すぎると言える)、とても大変な作業だったろうなと溜息が出る。
で、こんな情報を控えつつ、あらためて本書の話に戻るが、本作の黒幕の人物については、ジョン・ゲイシーほどの波乱な履歴は開示されない。上述のように根本的に狂ってしまっている人間なのではないか(あまりに大雑把に言って)、というような示唆に終わっている。これはどうなのか? というエクスキューズは可能だろうね、止めておくけど。
最後に、クライマックスのアクションシーンがいいなと。
ホラー作品って状況描写のテクニックが面白さに直結すると(どの小説でもそうだが)思われるが、本作では特にそう感じる。ビルの最上階(8階)から2つの離れた出口を巡った脱出を巡る攻防、狂気の人物に追い詰められる主人公。かわいそうにも凶刃に倒れた警備員。このエスカレーターは正解か? ブラフか?
分量としても大したボリュームではないし、特別な筆致ということもないように思うが、このシーンがハラハラと楽しめた。思えば『新世界より』も地味に最後の冒険とアクションシーン(?)が印象に残っている。
作家の強みなどを見つけた気になれると、こういう読書の楽しみも増えますね。