スピーカーは墓標にならない|『シラート』
やけっぱち親父のバッド・トリップロードムービー。薬物乱用防止啓発映画のあらたな金字塔。アイデンティティを失いつつある私たちは、そもそもない(身も蓋もない)はずの目的を探す旅に出る。得られるものは何か。新たな人生だ。
映画『シラート』を観る。砂漠を渡る親子とレイヴァー集団(レイヴ:音楽祭を廻る奇特な人物たち)の愛と友情、そして破綻の物語であった。
破綻をもたらすのは、親子の父、ルイスである。端的に説明すると、失踪した娘を捜索するという名目に幼い息子も巻き込み、あてのない砂漠旅行に踏み出す狂気の男である。彼を誰が擁護できようか。否である。
鑑賞中、冷静になれば、この男が逃避行動をとっていることは明らかだが、であれば、この物語はいったいなんなんだ? と考えると、男の破滅的な行動に巻き込まれた息子と、いたいけなレイヴァー集団5人組の悲劇としかいえない。
といっても、ルイスも人間なので、擁護できない点がないわけではなさそうだ。と言いたいところだけど、開示されている情報だけからは、やはり彼の味方をするのは難しいことも明らかで、特に中終盤に至っては彼が悪魔に見えてくる。
どういうことか? 鑑賞者によっては、単なる悪趣味か、こじつけか、頭がおかしいのかといったような展開が次々に起こり、事態は混迷を極めていく。それが本作だ。
中盤、とある悲劇が起き、それを乗り越えるためにルイスとレイヴァー集団は、荒野にスピーカーを設置して慰めの儀式に取り掛かる。とっておきの葉っぱもていねいに汁にして、ルイスもこれを服用する。
レイヴの音楽は聴くものにあらず、踊るためのものだという。
彼らは、ズンチャズンチャと踊りはじめる。レイヴァーの5人組は、そうやって心の傷を癒してきたように思われる。レイヴが彼らを繋いできたと言い換えてもいい。ルイスはそこにやってきた闖入者で、レイヴのよさを知らない。どうしようもない哀しみに暮れる彼に彼らができることといえば、共に眠ることと、共に踊ることだ。
この儀式によって、踊りによって、音楽がルイスに少しでも癒やしを齎す結果になったのであれば、彼らの思いも少なからず報われただろうし、ルイスにとっても悪いことは無かったろうが、やはりそうはならない。
幻覚はよくない。音楽もまったくの救いはくれない。それらを超える現実は、常に目の前にあり、あったのだ。
悲劇は唐突だし、1度では終わらない。レイヴァーの5人組は、それぞれが運悪く、旅を脱落していくこともある。それは本当に運のような巡りあわせで、年齢も性別も、罪の有無も関係ない。
そんな脱落した仲間たちをあとにして、生き残った彼らが呆然としているなか、ふと離れた地点にルイスが立ち聳えるシーンがある。砂漠に吹きつける強風が砂塵を引き起こし、彼の姿は幻想的に見え隠れする。
レイヴァーの彼らはどういうわけか根っからのお人好しなので、ルイスに対してほぼ常に愛をもって接していたが、それ故にだろうか、スクリーンから眺めるルイスの姿が、悪魔にすら見える。
エンディングである。悲劇に引き裂かれ、しっちゃかめっちゃかになった彼らは、どこへ向かうのかもしらない鉄道に乗って、明日へ向かうのであった。
物語の終焉後、サッパリしてしまったルイスについて考える。
ひとつ、彼らはどこに向かうのかである。もともとレイヴァー集団はモロッコの砂漠地帯からさらに南部、モーリタニア北部付近の西サハラ地帯(紛争地帯)で開かれる予定のレイヴ会場に向かっていた。
このエリアを走行する鉄道はひとつであるようで、どうやらモロッコには繋がっていない。つまり彼らは、帰路に就いたわけですらない。彼らの乗った列車は、おそらくモーリタニアの都市に着くだろうが、さすがに彼らが続行してレイヴ会場を目指すとは思えないので、モロッコへの帰国を目指すのだろうか。現地で解散するのか、連帯を続けるのかもわからない。
もうひとつ気になっているのは、ルイスの探す娘である。今回の彼らに起きた悲劇のように、バンで西サハラを抜けようとするのはバカのすることで、彼女が同じルートを取ったとは思えないし、もっといえば、別ルートをとるにしてもそんな苦労をしてまで、南部でのレイヴに参加しているとは考えづらい。
要するに、娘は、ルイス家族がもとから暮らしていた地域に留まっているか、あるいはまったく別の地域にいると考えるのがもっとも自然で、このとき、少なくとも彼らの向かった南部には、彼女は存在しなかったことになる。
本作で描かれる事態そのものについては、娘の存在はマクガフィンというか、親子を南部に向かわせ、レイヴァー集団をそれに巻き込ませる装置に過ぎないが、作中では彼女は(おそらく)生きているし、地獄巡りを経て悪魔のようにも生き延びたルイスと再会する可能性があるのだ。
たとえばである。
あの儀式ですんなりルイスが幻覚と音楽の高揚、もとい効用に少しでも救われていれば、娘との距離を縮めるきっかけになったかもしれない。が、本作は当然そんなことはさせない。
あるいは、ルイスの行動は確実に逃避で、かつ多くの犠牲を生んだわけで、私はだからこそ悪魔にも見えたといったが、それでも彼はただの人だ。
娘が逃げ出すに至った家族の不和のようなもの(作中では明かされないのでそう述べるに留まるが)、仮にその原因が彼に因るところの大きいものだったとしても、それ単独では罪にもならない。
このとき、仮に娘が「わたしは砂漠地帯のレイヴに向かった」という偽情報を拡散していたとしたら、彼らを悲劇に巻き込んだのは、彼女とすら言い得る。
救われねぇよなぁ。考えなきゃよかった。
最後に。そういえば、私はミニシアターで鑑賞したので、爆音を浴びていない。もしかしたら、大音響のなかで鑑賞していたら私も向こう側へ行っていたかもしれないね。